2014年9月17日水曜日

自分でわが家を作る本。 を読んで

自分でわが家を作る本。

この本を一読して、「出会うべくして、出会った書籍」であると、天啓
に打たれた感じがしました。

自分で深く考え、何かを成す。
人が生きる上で当たり前に行なってきた、「生きる知恵=考えること」
について考えさせられる内容でした。

この「考える」こと、実は相当に脳へのストレス(良い意味での負荷し
かないのだけど...)があり、できれば他人にやってもらいたいことの一つ
ではないでしょうか。これに、肉体的負荷が加わるとなると更に増強
されます。

私の父の世代までは、作業小屋程度の棟上げは集落の男衆が出向き手伝っ
ていたと聞きました。
どの様に継手が組まれ、最小人数で施工する為の知恵は、集落の共有知
として蓄積されていたとのことです。

そう言えば、ロープの自在結びなど簡単にやってのける父を見て、「おお、
凄い!! バイク屋みたいだ!!」などと思ったこともありましたが、生きる
為に誰もが身につける知識が薄れつつある状況もまた、垣間みたのでした。

社会の労働環境が分業化され、専門業としてそれぞれが効率化したことは
素晴らしいことです。
スカイツリーから眼下に望む光景は、この効率化の大きな流れを俯瞰する
体験です。

しかし、専門分化された社会において、大きな弊害もあります。

「これは出来ない...」と、何もせず匙を投げる状況です。
効率化を度返しすれば、出来ないこと等ないはずですが(だって、結局人
がやってることでしょ?)考えることを放棄した現代人は、「誰かがやる
こと」と、全てにおいて考えがちです。

食品偽装や姉歯問題にせよ、私達がブラックボックス化してしまった状況に
おいて、見えづらい影の部分を上手く操られてしまった結果なのかもしれま
せん。

H・ガードナーの理論を持ち出すべくも無く、人には得意不得意があります。
自分より優れた人に仕事をしてもらい、報酬を払うことは理にかなっており
ますし、全く否定もしません。
どちらかと言えば、私も同様な人間です。

「家を建てること」、そんなことは到底個人では無理であると誰もが考える
ことでしょう。
私だって、いつかは理想の家を建てたい(設計士や大工さんに)と思って、
あくせく働いております。(今のままだとまぁ、無理でしょうが...)

それを自分で建てる!、しかも「そんなに難しいことではないよ!!」と本書
では説明し、実際にそれを実践してみせたのです。

人生において最も大きな壁は「固定概念」であると定義すると、この最も大き
な壁が崩れ去った瞬間でした。

読後の感想は、「いやいや、普通に建てられるじゃん!!」。

ここで、冒頭の「出会うべくして、出会った書籍」の天啓に打たれるのです。

誰もがこの感覚に出会えるわけではないかと思いますが、私の性癖からすれば
至極真っ当、オーディオ作ったり、木工したりするなら、家だって建てられる
のです。

正直、本当に家を建てるなら、この本では役不足です。
木造軸組工法をしっかりと学ぶ必要がありますが、「考えること」の扉を本書で
開き、「考えられる」という次のステップに移った私には難しいことではあり
ません。

人生を今以上に楽しむには、「固定概念」をいくつ乗越えることができるか、
に尽きるのではないでしょうか。